「奇譚クラブ」の絵師たち (河出文庫)

 

『薔薇族』編集長 (幻冬舎アウトロー文庫)

 

戦後エロマンガ史

 

武士道とエロス (講談社現代新書)

 

性風俗史年表 昭和戦後編―1945-1989

 

性風俗史年表 大正・昭和[戦前]編

 

性風俗史年表 1868‐1912 明治編

 

消える「新宿二丁目」―異端文化の花園の命脈を断つのは誰だ?

 

アメリカ性革命報告 (文春文庫 (330‐1))

 

ポルノ雑誌の昭和史 (ちくま新書)

 

夜這いの民俗学・夜這いの性愛論

 

熟女の旅 (ちくま文庫)

 

 

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半ズボン姿ヒトラー画像まとめ


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Hitler vestido de tiroles en Berchtesgaden


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[ 2013-04-18 (Thu) 10:24 ]  





蟋蟀(コオロギ)や 地獄を巡る 油皿




[ 2012-12-20 (Thu) 16:03 ]  

今月一八日午前一一時半、チェンマイ県警察に、市内マヒドン通りにある住宅地「ムーバーン・ブローイブリン」に住む、デンマーク人のビジネスマンを夫に持つアーノンタヤーさん(三四)から、家に訪れた男女四人組に「たまごっち」で惑わされた上、金品を盗まれたという通報が入った。

警察が、アーノンタヤーさんに詳しい情報を藺いたところ、その日の朝、身なりの良い中年の男性二人と女性二人が家の前の門に立ち呼ぴ鈴を鳴らしたので、外に出て門を開けたところ、その四人は、「この住宅地の中のある住人が、ギャンプルに負けてお金に困っているので、自分の家を二〇〇万バーツで売りたいと行っています。あなたに仲介者になってもらえないでしょうか。もちろん手数料はお支払いしますよ」という話を持ち掛けてきたという。

思いがけない話に戸惑ったアーノンタヤーさんが、なかなかハッキリと答えを出さないでいると、突然その四人はそれぞれにたまごっちを出して遊ぴ始め、アーノンタヤーさんに[あなたも遊んでみませんか?」とたまごっちの一つを差し出した。
アーノンタヤーさんは、言われるままにたまごっちで遊ぴ始めたが、操作になれていないせいか頭が急にクラクラしてきた。そこへ女性の一人が自分のボケットから中国の乾燥梅千しを出して、「これを舐めたら気分が良くなりますよ」と手渡した。アーノンタヤーさんがその梅千しを口に含むと、急に頭がボーッとしてそのまま意識を失ってしまった。

どれくらいの時間が経っただろうか、アーノンタヤーさんがハッと我に返った時には、その男女四人の姿は消えていた。慌てて家の中を謂ぺてみると、部屋の中にしまってあったダイヤモンドのアクセサリー一セットと重さ一〇パーツの金のネックレスとブレスレット、そして現金三万バーツが無くなっていたとのことである。警察は、この事件に関する調書を取ったあと、アーノンタヤーさんをマハーラート病院に連れて行き検査を受けさせた。

この四人の犯人は、アーノンタヤーさんが資産家で、昼間には家に一人でいることを事前に調ぺ、計画的に犯行に及んだ可能性が強いと見て、アーノンタヤーさんの退院を待って犯人の似顔絵を作り、指名手配犯として捜索する方針だ。また住民には十分注意をするよう呼ぴかけている。

一九九七年六月二七日
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「タイの怪事件」 P139抜粋

[ 2012-12-18 (Tue) 12:16 ]  
米ポルノ雑誌「ハイ・ソサイエティ」77年8月号より、醜男フェチの女性からの投稿記事


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「私は三十歳の女性ですが、奇妙なフェティシズムを持っています。私は醜い男が相手でないとその気になれないのです。ハンサムな男にはぜんぜんひかれません。女の子みたいでいやなのです。それに経験からいうと、魅力的じゃない男のほうがセックスはいいのです。醜い男は強いエゴを持っていないので、女性へのサービスに手をかけるのです。

 私がこれまでに相手にした男のうちで最も醜かった男は、その醜さを売物にサーカスの幕間のショーをしていた男ですが、鼻がものすごく大きくて、そこにアバタがブツブツ吹き出していて、棒ぐいみたいな汚くて大きな歯が想像を絶するほどの歯並びの悪さでならんでいて、コーラの底みたいな部厚いメガネをかけ、空飛ぶダンボみたいに大きな耳をしていました。肉体の方も人に自慢できるようなものは何もなく、足は短くてチンチクリンで、そのペニスときたら、ピックルスにされたベビー・キュウリみたいでした。それでも、いいセックスでした。

 まず私の体全体をすみずみまで舌でなめまわし、ねぶりまわし、私をウットリさせてから中に入ってきたのですが、それこそあんまりよくて目の玉が外にこぼれ落ちそうになるくらいまでやってくれました。ほんとに天国にいる心地でした。その上最後には、その特大の鼻をワギナの中にねじこんで動かしてくれるということまでやってくれたのです。そんな芸当ができる人はそうはいないでしょう。

 どうか、この投書をお取り上げください。世の中には醜悪なものに美を感じる女もいるのだということを、世の人に知っていただきたいのです。
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立花隆「アメリカ性革命報告」(1984/文春文庫/p64)より抜粋

同書には他にも「剃毛プレイをしたあと顔に糊をぬり付けヒゲにして興奮するわたし」「マスターベーションを録音する際、マイクを玉に近づけると、玉の動きの音が取れます」など、様々な投稿記事が掲載


[ 2012-08-17 (Fri) 22:04 ]  





きたないあひるの子は、きたないあいだはひとりぼっちだったので、きれいな白鳥になってみんなにうらやましがられても、やっぱりひとりぼっちだったので、白鳥にはならずに、きたないままでもあひるのおとなになったら、やっぱりどっかにきたないあひるがいて、ひとりぼっちにならずにすんだので、白鳥になったのはまちがいです。




山下清 「ヨーロッパぶらりぶらり」 ちくま文庫P93




[ 2012-08-14 (Tue) 14:14 ]  

以下点線内文章は、アートアクセスHP内コラム、坂崎重盛「粋人粋筆探訪」第十三回歴史的名座談会「天皇陛下大ひに笑ふ」(http://www.gei-shin.co.jp/comunity/17/13.html)より、辰野隆、徳川夢聲、それにサトウ・ハチローというムチャクチャなメンバーが昭和天皇の前で座談会を披露したときの様子を、「復録版昭和大雑誌」(全3冊)「戦後篇」より一部孫引き転載したものです。

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徳川 それでね、まず辰野先生の挨拶から始まつたわけですナ。
辰野 こつちは御案内役ですからね。両大人を御紹介しなければならないんだ。どうも仕様がない。「今日は図らずも昔の不良少年が、一人ならず三人まで罷り出でまして洵に畏れ多いことでございます」と申上げたら、陛下が「あツ、さう。アツハアハア……」とお笑ひになつた。(笑声)
徳川 あの開幕がよかつたですよ。
(中略)
──そこでですナ、話の順序はね、今の辰野先生の御紹介から始まつたんですよ。それでサトウさんが中学を八校も変つたの説明になつたんです。すなわちユニホームの話ですナ。ちよつと復習してください。
サトウ あたしがね、或る年の春の野球大会へ立教中学のユニホームを着て出たんです。その年の春の終りの大会の時は高輪中学のユニホームを着て出たわけです。その次に夏の大会のときは藤沢中学のユニホームを着て出たんです。さうしたらアムパイヤをやつてた佐々という慶応の人が「お前、さうユニホームを変へて来るなよ」(笑声)
徳川 これは陛下がお笑ひになつたです。しばらくは陛下のお笑ひが停らなかつた。ほかの話に入つちやつたのに、まだしばらく笑つておられたんですナ。

辰野 (中略)──初めはサトウさん、謹直でしたよ。ところが、何となく春風駘蕩たる気もちになつてね、サトウさんは気がつかないけどね、「ねえ陛下……」と言つたナ。(笑声)二度くらゐ言ひましたよ。
サトウ それは知らなかつたね。
辰野 「ねえ」をつけないと、あとの言葉が円滑に出て来ないやうな気分でしたね、実際。いきなり陛下、と申上げるのが却て呼びすてにするやうで、失礼ではないか、といふ心持ちだつたのでせうね、自然に云はうとすると、つい、ねえが付くんでせうね。
徳川 僕は二度ぐらゐ、あツ、これは言葉遣ひがいかん、と思つたことがありますよ。
辰野 いや、しよつちゆうですよ。(笑声)
記者 陛下は放送の時なんか、非常に丁寧な言葉をお使ひになつてますね。その時はいかがでした。
サトウ 別にそんなことはなかつたです。
徳川 チヤンと陛下にふさはしい言葉の使ひ方をしてをられたナ。うん。例へば「あの……映画のほうは忙がしいの」なんて訊かれたりしてね。

辰野 おしるこが出て、呑み助三人にはいい気味だと思つてたら、お土産が桜正宗と御紋章入りの煙草、その時に出たお菓子と。
サトウ 僕はあのお酒を戴いたために、家の子郎党を集めましてね、あれを一盃づつといふことになつたんですよ。ところが、集つたのが十八人でせう。たうとう八升追加しちやいましたよ。
徳川 それは大変だ。高いものについちやつたナ。然し嬉しい失費さね。わたしはね、岩田豊雄氏に持つていつちやつた。
サトウ あの人は酒にうるさいからね、喜んだでせう。
徳川 喜びましたよ。二合五勺ほど飲んだらいい御機嫌になつちやつた。わたしは目下飲みませんからね。帰らうとしたら、いいよ、もう少しゐろよ……。仕方がないから話し相手になつてましたがね、二合五勺で御機嫌になつて、もう帰れ、いいよ……。ずいぶん勝手な奴だ。(笑声)
辰野 わたしは家へ帰つてみたら、戴いたお菓子が粉ごなでしたよ。あれから何処かへ寄つて飲んだんですナ。夜晩く帰つて、みんなを起こしてね、お酒はお前達は飲まないから、俺と親友とで飲む。煙草は俺が戴く。長男は少しのむから少しやらう。お菓子は女達にやる。出したら粉ごなでね。女類どもはそいつを指で摘んで食べちや喜んでたよ。
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手元の、高橋紘「陛下、お尋ね申し上げます」(1988/文春文庫)p261によると、この座談会は昭和24年2月25日に皇居内の花蔭亭にて行われたようです。
なお、陛下がお気に召したのか、昭和32年4月17日にはハチロー、夢声の他に、吉川英治、獅子文六、火野葦平というそうそうたるメンバーにても「御前座談会」が催された模様。
いいなあ。読みたいなそれ。

[ 2012-05-27 (Sun) 22:20 ]  
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