「奇譚クラブ」の絵師たち (河出文庫)

 

『薔薇族』編集長 (幻冬舎アウトロー文庫)

 

戦後エロマンガ史

 

武士道とエロス (講談社現代新書)

 

性風俗史年表 昭和戦後編―1945-1989

 

性風俗史年表 大正・昭和[戦前]編

 

性風俗史年表 1868‐1912 明治編

 

消える「新宿二丁目」―異端文化の花園の命脈を断つのは誰だ?

 

アメリカ性革命報告 (文春文庫 (330‐1))

 

ポルノ雑誌の昭和史 (ちくま新書)

 

夜這いの民俗学・夜這いの性愛論

 

熟女の旅 (ちくま文庫)

 

 

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あまり知られていないことだが、AVデビュー以前、黒木香は在籍していた横浜国立大学で、同大学生の製作した自主映画に出演している。映画の題名は「インディーポピンズ・キャンディーポピンズ」、監督は、なんと学生時代の岩井俊二である。






藤木TDC「アダルトビデオ革命史」 (幻冬舎新書) P143 抜粋


[ 2009-08-10 (Mon) 09:26 ]  




902 名前:生き埋め1[] 投稿日:2009/06/11(木) 01:56:59.74 ID:fMaiu3BW0

1783年(天明3年)、浅間山は大噴火した。
噴煙は、上空1万メートルにまで達し、その時に流れ出た溶岩流は、
付近の村々をあっというまに覆い尽くし、約1200人もの命が失われた。

流れ出た溶岩流は、何もかも焼き尽くしながら吾妻川へと流れ込み、
川の岸辺には溶岩と一緒に運ばれてきた凄まじい数の死体と、家屋の残骸が打ち上げられた。

特に火口付近に近かった鎌原(がまはら)村は、わずか十数分の間に村全体が溶岩流に覆われ、この村だけで、477人の犠牲者を出した。
だが、村人たちが全滅したわけではなく、何とか93人ほどは、近くの高台に非難し、命拾いしたという。
その後、火山の山麓付近では約3ヶ月間に渡って煙がくすぶり続け、歴史的な大災害となったのである。

そして歳月は流れ、ようやくこの大噴火も昔話となりつつあったころ、鎌原(がまはら)村で、驚くような事件が起きた。

ある夏の日、一人の農民が井戸を掘ろうとして、ひたすら土を掘り起こしてした。
だがしばらく掘っても、全く水が出る気配がない。
更に、もうちょっと掘ってみると土の中から瓦(かわら)が出てきた。

おかしな物が出てきたもんだと思い、穴を横に掘り広げてみると、今度は屋根が出てきた。
家が丸ごと、この下の埋まっている・・そう直感した農民は屋根の一部を壊して穴をあけてみた。

中を覗き込むと、その下には家のような空間が広がっており、人間が二人ほど底の方でうごめいているのが見えた。
すぐに付近の人を呼び、この老人を助け出して事情を聞いてみると、びっくりするようなことを語りだした。


903 名前:生き埋め2[] 投稿日:2009/06/11(木) 01:59:42.97 ID:fMaiu3BW0

「何年か前、浅間山が大噴火をした時に、一家6人でこの倉庫の中に隠れたが、そのまま地中に埋められてしまった。
横に穴をあけて逃げることも出来ず、ずっとここで暮らしていたのだ。

幸いここは倉庫で、米も3000俵あり、酒も3000樽ほどあったので、
これらを食いながら今まで生きながらえてきた。
4人はすでに死んでしまったが、我々は再びこうして地上に出ることが出来て、
また皆さんと会うことも出来て無上の喜びを感じている。」

老人たちが発見されたのは文化12年。浅間山の大噴火から33年後のことである。

老人たちの話が本当だとすれば、この二人は実に33年間もの間、地中で暮らしていたことになるのだ。
この話は、江戸時代の狂歌師・大田蜀山人(おおた・しょくさんじん)が書き残している事件である。







http://blog.livedoor.jp/himasoku123/archives/51301999.html
[ 2009-07-29 (Wed) 12:36 ]  



S59、週刊読売誌上にて川内康範がかい人21面相宛てに「私財1億2000万円を払うからもうやめろ」と訴えかけたところ、以下のように返事がきた




川内はん え

わしらも 月光仮面 見たで

おもろかった

あのころの テレビは あんしんして みれた

いまの テレビ めちゃくちゃや

世の中 くるっとる

わしら こども いびってるか

あまいもん くわせて 虫ば つくるのと くわさんのと

どっちが こどもおもいや

かしは だがしやで 1こづつ かうもんや

スーパーで ぎょうさん こおてくるもんと ちゃう

あんた 金 プレゼントする ゆうたけど わしら いらん

わしら こじきや ない

金 ほしければ 金もちや 会社から なんぼでも とれる

金の ない もんから 金 とる気 ない

金は じぶんの ちからで かせぐ もんや

せっかくの へんじ あいそなし やったな

からだに 気つけや

わしらの人生 くらかった

くやしさばかり おおかった

わしらがわるく なったのも

みんな世の中 わるいんや

こんなわしらに だれがした

あすはわしらの 天下やで











参考 深町秋生のベテラン日記
http://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20071228

[ 2009-07-26 (Sun) 20:31 ]  






かし会社の えらいさん え

わしらと おまえらと どっちが わるや おもう

わしら わるや  わしらが ゆうとるんや  まちがい ない

おまえら おまえらの こと わる おもおとらんやろ

ええもんの よおな 顔して 世の中 だましとるや ないか

かしさえ うれおったら 世の中の もん むしばに なっても

とおにょうに なっても かまへんのやろ

あこぎな 商売 やで

バレンタイン なんの こっちゃ

わしら わかい ころ あないなもん なかったで

わしら チヨコレート なんか 1ども もろたこと ない

あないな あほな こと だれが かんがえおったんじゃ

わかい 女が 5人も 10人も チヨコレート おくりおって

みんな パンパンと おなしや ないか

おまえらが 世けんの 女 みんな パンパンに してもうたんや

女に つつしみ ちゅうもん のおなったら おしまいやで

やまとなでしこ 七変化して どこぞえ きえて しもたんか

あほな 女が 女の くさったよおな 男に チヨコレート

ばらまきおって  あほくさ

ほんまに 男が すきなら いっしょに チヨコ くうて

しんじゅう したら ええ

わしら 青さん いれて たすけたるで

0・4グラム いれたの 全国に ばらまいたる

チヨコレート おくるあいてに ほけんかけ

バレンタイン ふたりそろって あの世ゆき

めをむいて ペコちゃんポコちゃん はかのなか

ばいどくか エイズりんびょうに なんせいげかん パンパン娘の チヨコにつき

14日 すぎたら あんぜんや

わしらの あんぜんシール ついとるもんは よいお子え

わしらの プレゼントや

かい人21面相






グリコ森永事件 wiki

小沢信男「犯罪百話」P380-382 抜粋





[ 2009-07-25 (Sat) 13:49 ]  


51G5Hp8b.jpg



1955年7月15日、トニー谷長男誘拐事件が発生。人気絶頂期にあった芸人の子息が営利目的で誘拐されたとして大々的に報道され、世間は大騒ぎになった。

犯人は7月21日に逮捕され、長男は無事救出されたが、犯人は犯行の動機で「トニー谷の、人を小バカにした芸風に腹が立った」と語った。つまり、世間のトニーへの反感(本人の悪役キャラクターに由来する)への、犯人の便乗が事件の原因だった。トニーは被害者であったにもかかわらず、マスメディアによって出自・前歴など秘密にしていた部分の多くを徹底して暴かれ、この事件を境にトニーの人気は急に凋落した。折しもラジオ中心の時代からテレビの時代への過渡期でもあり、仕事は激減し、東宝との専属契約も打ち切られた。


トニー谷 wikiより転載
事件そのものの詳細に関しては wiki - トニー谷長男誘拐事件 を参照


以下、事件最中のトニー谷を撮影した写真


1955057.jpg

正美ちゃんが誘拐され、電話を受ける母のたか子さんと悲嘆に暮れる父のトニー谷さん
1955年7月20日 東京・大田区の自宅


1955058.jpg

長野県下で保護され、東京に向かう列車の中で眠る正美ちゃん
1955年7月23日 


1955008.jpg

誘拐された長男が無事保護され、喜ぶトニー谷の家族
1955年7月21日 東京


画像及びキャプション転載 昭和毎日
http://showa.mainichi.jp/news/1955/07/post-1eed.html



[ 2009-07-01 (Wed) 18:16 ]  



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吹上佐太郎   以下wikiより転載


--


経歴

佐太郎は1889年2月、京都市西陣生まれ。父親は大の酒好きで、酔っていたため寝ている子供たちに構わずセックスを行っており、それを見ていた佐太郎は7歳頃から妹の性器を弄繰り回していた。9歳の時には家から追い出され奉公に出された。彼は職を転々とした。奉公に出された場所では金を持ち逃げし首になる。別の西陣の工場も逃げ出した。

その次に西陣の機屋で働いた。11歳になる頃には17,8歳の女中二人がいたが、そこでは一緒の部屋で寝る事が行われていた。そのため、毎晩のように一人の色好みの女中に無理矢理少年姦をされていた。毎晩、18歳の女中の慰めになったり慰められていたりしたのであるが、その性遊戯がばれ首になった。次のところでは5円を盗み、12歳で監獄に入る。だが、監獄の方がいい生活であった。

それ以来西陣の機屋で働いたが前科がばれクビ。大阪で浮浪者、野宿生活となり泥棒集団の仲間に入るが、逃げ出す。京都で泥棒をし、13歳で再び監獄に戻される。この13歳の時期男色に耽った。刑務所を出ると四国で一家は乞食をしていたが、泥棒の金で家を借り一家を住まわせた。15歳の秋には初めて少女の味を知った。だが、名古屋に向かう途中自転車を盗んだ罪で刑務所に戻る。

その後、彼は出所し京都に戻る。17歳の時には54歳の女と出会い一年間性的関係を強いられる。それにより、今までの主に年上の女性に玩具にされた生活は一転した。その婆さんの娘である11歳の娘に手を出し、近所の娘や女工を強姦した。

その後、徴兵検査を受ける直前、京都の金閣寺裏山で少女をレイプ殺人を行い無期懲役の判決を受け10年弱拘置されたが恩赦により減刑される。

仮釈放後はトンネル工事作業員や田舎廻り劇団員などになったが何れの職も長続きせず、仕事を求め流れ歩いた旅先で連続少女殺人事件を起こした。

佐太郎は関東連続少女殺人事件で死刑判決を受け刑死した。死刑囚となって猛勉強し、西洋の哲学書、文学を読破し、原稿用紙3000枚という膨大な自伝を残した。しかし、発売と同時に発禁処分となった。


-- (引用 終)




彼は死刑執行(1926.9.28)までの二年間、神州麿と号し、和歌や漢詩を作していた


3000枚に及ぶ原稿は「風紀を紊(みだ)すもの」として結局破棄されたという


以下 その作品一部




和歌




知らぬまに三十路の坂を六つ越しぬ エロトメニアになやまされつつ


神州麿の心のおくのなみだをば 誰が汲みとりて世に注ぐらん




漢詩



    狂  可  半  追
    殺  憐  貧  憶
    数  不  児  我
    多  治  半  生
    少  花  鉄  卅
    女  風  窓  六
    身  病  人  春








辞世句





屠殺場へ廻り行く世の小車や 牛の心を 誰が知りて見る








参考   定本 犯罪紳士録 (ちくま文庫) p35 - 37

[ 2009-06-23 (Tue) 16:03 ]  
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